今日から多治見本店の解体作業が始まった
15年の月日が流れてパティシエとして、人間として俺は変わった。
俺の原点がここにある。
今日はパティスリーも休み、ブロッサだけの営業なので朝から名古屋に居ます。
この写真は現場から送ってもらった。
この写真を見ている。今、事務所で独りで。
鳥肌が立って止まらない。
何故か、淋しい。。。
15年が走馬灯のようによみがえる。
新たなチャレンジをしている俺には少々、厳しい現実写真です。
オープン当初、1ヵ月の俺の給与は10万円前後、早く借金を返済したくて
、担保に入れた場所を早く外したくて必死だった。
一年目の半年は毎日、ケーキを捨てていた。「売れなかった」
夏場の閑散期は夕方には1人も来ない店のベンチシートで
寝ていた。仕込みも少なく仕事が早く終わっていた。「辛かった」
一年後、リピーターや名古屋から噂を聞いて来てくれる
お客様が増えてきた。「少しづつだが」
何とか三年目に18万円の給与が取れた。
バイトは1~2人で接客、喫茶スペース、厨房を走り回り一日一日が
大変だった。「充実していた」
スタッフ、1人が辞めるだけで店が回らなく大変だった。
クリスマスは1人で400台近くを3日間の徹夜で作った。
お客様に予約してもらっても1時間以上も待たせた。
作っている時に厨房でうずくまり、目がまわりビタミン剤を
飲みながらデコレーションを作った。
そうそう、開店時は阪神淡路大震災から10日後のオープンだった。
修行先のジャン・ムーランが壊れ営業できなくなっていた事を知り
神戸に募金の為の募金箱を置いた。
親友の家が全壊した。「奴の為にも必ず立派なパティシエになってやる」と
心に誓った。厨房にいても涙が止まらなかった。
2000年、日本にパティシエブームが来た。
名古屋の百貨店「三越」から出店要請があり、「待ってました」と
23時間労働して自家用の車で運び、店頭に立ち販売した。
「売れなかった」
百貨店のお客様にはまだまだ無名だった。
「多治見・・・・・シェ・・・・シバタ・・・・・・」
「シェェエーーーーーーーーーーー」(オソマツくん風に)
言われてショーケースの前を素通りして行くお客様。。。。。
「悔しかった」
多治見というだけで馬鹿にされた。
やはり日本の人はブランドが無いと買いもしないのか?????
パティシエのイベントで東京、関西から何十社とパティシエの集まる
百貨店イベントにも出た。
一年目、二年目はやはり「多治見・・・・・」と言われた。「悔しかった」
三年目ぐらいには「シバタ、ここだよ」と言われ始め行列が出来た。
「嬉しかった」 やっと味を認めてくれるお客さんがいると解った。
調子に乗り多数の百貨店のイベントを毎月のようにこなし、多いときは
月に二箇所もざらではなかった。
テレビ、雑誌が食いついて来たのもこの頃。
名古屋店が出来て更にパワーアップした。
コンクールにも出てない。修行も長くない。プレッシャーとコンプレックス
だけでここまでやって来た俺の原点が今日、無くなって行く。
見に行く事から逃げているのか、 解らない。
お客様は知らずに今日も来店してくれる。
今の俺には前しか見ない。見れない。
見ないようにしているのだ。
昔取った杵柄、いらない。
この時代に求められているのは先のビジョン。
38歳、まだまだパティシエ、経営者として見習いの精神は
持ち続けて戦うつもりだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
明日は上海に向う。
戦う場所は自分で見つける。
男、柴田をこれからもヨロシク!!
***追伸***
多治見店は11月オープンを目指し
工事に入りました。





