草食系男子 HOME 講習会にて

柴田家の報告会

いつものペースで仕事をしているとなかなか
家族に報告する暇がない。年に一度ぐらいしか
実家にも帰らず、心配ばかり掛けている俺ですが
今年の仕事の予定などを知らせてやりたくて、2ヵ月もの前から
予定を組み、実現したのです。

うちの親父は昔からの頑固な人、母親はそれに付き添い
よくやってきた。(本当に大変だったんじゃないか・・・)
男3人兄弟で兄貴は三つ上で、俺達2人は双子の兄弟。
よく間違えられるぐらいそっくりだった。

喧嘩も耐えない家で、男3人の成長期にはメシもガッツリ食べるし
炊飯器の米が毎日、底をついていた。3人でよく野球、剣道をやり
3人ともが高校三年生までスポーツ漬けの毎日。

母親には一日1リットルの牛乳を渡され、毎日のジョギングなどの
目標表が食卓の部屋に張り出されていたぐらい期待が大きかった。

誰かが本当に甲子園に出れれば親孝行も出来たのだろう。喜んだで
あろ!! 自分の子供はグランドに立てず客席から見守っていた親の心を
考えると今でも辛くなる。6~7年間は双子の俺達の為、三つ上の兄貴と
合わせれば10年近くも休みも無く弁当を毎朝、作ってくれた。感謝、感謝

なのにレギュラーも取れず、代打で出るのがやっとであった。
今もそうかもしれないが、大人同士の駆け引きがあったようで
監督と仲良くなれば良いとか親の付き合いとか、子供では理解出来ない
世界があった。嘘をつく監督、コーチもいた。悔しかった。

兄貴は名古屋の名門、亨栄高校で頑張っていた。
早朝から通学し深夜に帰宅して帰ってきても口も利いてもくれなかった。
(かなりヘバッテいたのだろう)その時はかなり怖い兄貴だった。
生尻を見ればケツバットの痣だった。俺達もグランドにたった一球のボールが
どこかに転がっていて片付けてなかっただけで後輩全員がフルスイングのケツ
バットだった。マジ、尾骶骨が折れても不思議でない。

そんな少年期を影で支えてくれた両親。今でも心配ばかり掛けているが
、何とか自慢の息子になれるよう俺はパティシエの道を選び、進んできた。

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親父が今回、レジメを作って来た。PCできるんだぁ~(^-^)

聞きたい事に全て答えてあげ、また今後のビジネススキームを
報告して何年ぶりかの家族水入らずの時間が取れた。

少年期に悔しい思いなどいろいろあったが、今では糧となり負けず嫌いに
成長した。選ばれない悔しさを俺達、家族は知っている。
だから絶対に前に出たい、知名度を上げたい。
そんな経験があったから今があるに違いない。

店名に「シバタ」とつけた理由にもそんな気持ちがあったからだ。
シェ・シバタ、オープンの日、兄貴は皿を荒い、弟は多治見駅で
仕事を休みチラシ配り。母親は慣れない接客。親父は数日間
店の周りで見守っていた。

滅茶苦茶なオープンだった。ケーキはバラバラ、欠品だらけ。
しかし、我武者羅に立ち向かう精神だけでここまで来た。

こんな報告会が出来ると当時は考えも出来なかった。